労災や健康保険を使ったとき ― 賠償から引かれる分、引かれない分

机の上に積まれた書類と眼鏡 交通事故

何が引かれ、何が引かれないのか。そして「どこから引くか」で手取りが変わります。

交通事故で労災や健康保険を使い、その後に相手方の保険会社から賠償額の提示を受けると、「受け取った分は引かせていただきます」と書かれています。同じ損害を埋めるための給付は、賠償額から差し引かれることがあります。ただし、受け取ったお金の全てが差し引かれるわけではありません。

問題は、何が引かれ、何が引かれないのか、そしてどの項目から引くのかです。ここには決まりがあり、それに反した提示を受けることがあります。この記事では、差し引かれない給付、差し引く相手の項目、そして過失相殺との計算の順序を整理します。

引かれないもの

まず、引かれないものから見ます。事故によってお金を受け取ったとしても、賠償額から差し引かれない性質のものがあります。

生命保険金は引かれません。これまで積み重ねてきた保険料の見返りとして契約に基づいて払われるものであり、交通事故の損害賠償とは性質の違うお金だ、という考え方です(最高裁判所昭和39年9月25日第二小法廷判決・民集18巻7号1528頁)。

搭乗者傷害保険金や自損事故保険金は、契約であらかじめ決まった額が支払われるものですが、これらも差し引きの対象にはなりません(最高裁判所昭和55年5月1日第一小法廷判決・判例時報971号102頁)。

また、休業損害や逸失利益は収入を埋める性質のものですが、税金がかからない扱いになっています。そこで、加害者の側から「税金を払わずに済んでいる分は引くべきだ」という主張が出ることがあります。しかし、次に挙げる裁判例では、このような差し引きを認めていません(最高裁判所昭和45年7月24日第二小法廷判決・交通事故民事裁判例集3巻4号1013頁、東京地方裁判所平成7年5月14日判決・自保ジャーナル1123号1頁)。

引かれるものにも例外があります

労災保険の給付には、賠償額から差し引かれるものがあります。ただし、特別支給金など、差し引かれないものもあります。ここを取り違えている提示を受けることがあります。

労災の給付のうち、差し引かれないもの(主なもの)

  • 障害特別支給金と障害特別年金
  • 休業特別支給金
  • 遺族特別支給金、遺族特別年金及び遺族特別一時金

上に挙げたのは主なものです。ほかにも傷病特別支給金、傷病特別年金、障害特別一時金があります。ここに挙げた「特別支給金」「特別年金」「特別一時金」は、差し引かれないものです。名前が似ていて見分けにくいので、実際の給付の名前は、支給の決定通知でお確かめください。労災から受け取った額の合計をそのまま引かれていないか、支給の決定通知と提示の内訳を並べて確かめてください。

同じ項目の中だけで引く ― 費目流用の禁止

ここが最も見落とされやすいところです。差し引きができるのは、同じ損害の項目の中に限られます。これを費目流用の禁止といいます。

例えば、労災から休業補償給付を受けた場合、差し引けるのは休業損害の部分だけです。治療費や慰謝料の側へ回して引くことは許されません。

過失5割・休業損害100万円・労災から60万円を受けた例

この場合、過失相殺をした後の休業損害の額は、100万円の5割に当たる50万円です。ところが、労災から既に60万円を受け取っています。差し引くと、休業損害の部分は10万円のマイナスになります。

この超過した10万円を、治療費や慰謝料からさらに差し引くことは許されません。休業損害の部分を0円とするにとどまります。

まれに、この決まりに反して、受け取った額の全部を賠償の総額から差し引いた金額を提示されることがあります。この例でいえば、10万円の違いが出ます。過失割合がある事案では、必ず確かめるところです。

労災の給付と、差し引く相手の項目の対応

  • 療養補償給付(療養給付) ― 治療関係費
  • 休業補償給付(休業給付)、傷病補償年金(傷病年金) ― 休業損害
  • 障害補償給付(障害給付) ― 後遺障害によって将来得られなくなった収入(逸失利益)
  • 遺族補償給付(遺族給付) ― 死亡によって将来得られなくなった収入(逸失利益)
  • 介護補償給付(介護給付) ― 将来の介護費
  • 葬祭料(葬祭給付) ― 葬儀の費用
電卓と明細
支給の決定通知と、保険会社の提示の内訳を並べて見比べてください。

過失相殺の前に引くか、後に引くか

こちらに過失がある事案では、もう一つ問題が起こります。給付を差し引くのは、過失の分を削る前なのか、削った後なのかです。

結論を先に言えば、被害者にとっては過失相殺の前に引かれた方が有利です。同じ数字でも、順番が違うだけで手取りが変わります。

労災の給付を差し引くのは、過失の分を削った後です。最高裁判所平成元年4月11日第三小法廷判決・判例時報1312号97頁が、そのように判断しています。

他方、国民年金や厚生年金、それに介護保険からの給付については、先に差し引き、残った額に過失の割合を当てはめた裁判例があります。国民年金については東京地方裁判所平成20年5月12日判決・交通事故民事裁判例集41巻3号576頁、障害厚生年金については大阪地方裁判所平成7年8月25日判決・交通事故民事裁判例集28巻4号1168頁、介護保険については東京地方裁判所令和2年11月26日判決・交通事故民事裁判例集53巻6号1531頁です。

健康保険から出た治療費の分については、過失の割合を当てはめる前に差し引くのが一般的と考えられています。

傷病手当金は判断が分かれています

傷病手当金の扱いは、裁判所によって答えが違います。名古屋地方裁判所平成15年3月24日判決(裁判所ウェブサイト)は、健康保険からの支給は被害者の過失を重く見ることなく社会保障の一つとして払われるべきものであり、そうであれば、被害者の過失による減額の分を傷病手当金からさらに差し引くべきではない、として、傷病手当金と高額療養費は過失の割合を当てはめる前に差し引くべきものと判断しました。神戸地方裁判所令和2年2月27日判決・交通事故民事裁判例集53巻1号280頁も同じ判断です。

他方、交通事故ではなく暴行による傷害の事案について、傷病手当金を過失相殺の後に差し引いた裁判例があります(福岡高等裁判所令和6年8月28日判決。判例集などには掲載されていません)。保険会社がこの判決を挙げてくることがありますが、交通事故の事案ではありませんので、そのまま当てはまるものではありません。

確かめる順番

以上を、提示を受けたときに見る順番に並べ替えます。

提示の内訳で確かめること

  • 引かれているものの中に、生命保険金や搭乗者傷害保険金など、そもそも引かれない性質のものが混ざっていないか
  • 労災の給付のうち、特別支給金・特別年金・特別一時金まで引かれていないか
  • 休業補償給付が、休業損害以外の項目から引かれていないか
  • 過失割合がある事案で、給付を引くのが過失相殺の前か後か。どちらで計算されているか
  • 引かれている額が、支給の決定通知の数字と一致しているか

どれも、届いた書面と手元の通知を並べれば確かめられることです。金額の大きい項目から順に見ていくと、効率がよいです。

なお、裁判例の判断が分かれている点については、こちらに有利な裁判例を挙げて主張することになります。それでも保険会社が譲らない場合、訴訟を起こすかどうかは、争っている金額、手元の資料、費用、解決までにかかる期間を踏まえて決めることになります。

よくある質問

労災から受け取った分は、全部引かれるのですか。

全部ではありません。休業特別支給金、傷病特別支給金、傷病特別年金、障害特別支給金、障害特別年金、障害特別一時金、遺族の方に支払われる特別支給金・特別年金・特別一時金は、差し引かれません。名前に「特別」と付くものは差し引かれない側だと覚えておくと、見分けやすくなります。

労災の休業補償を受け取ったら、慰謝料も減るのですか。

減りません。差し引きは同じ損害の項目の中でしかできません。休業補償給付は休業損害からだけ差し引かれ、治療費や慰謝料の側へ回すことは許されません。これを費目流用の禁止といいます。

生命保険金を受け取りました。賠償から引かれますか。

引かれません。積み重ねてきた保険料の見返りとして契約に基づいて払われるものであり、交通事故の損害賠償とは性質の違うお金だと考えられています。搭乗者傷害保険金や自損事故保険金のように、決まった額が支払われるものも同じです。

過失相殺の前に引くのか後に引くのかで、そんなに変わるのですか。

変わります。被害者にとっては、過失相殺の前に引かれた方が有利です。労災については過失相殺の後に差し引くとされていますが、介護保険、国民年金、厚生年金については過失相殺の前に差し引いた裁判例があります。

健康保険の傷病手当金はどうなりますか。

裁判例の判断が分かれています。過失相殺の前に差し引くべきとした裁判例がある一方、交通事故ではない事案で過失相殺の後に差し引いた裁判例もあります。保険会社が後者を挙げてきた場合は、交通事故の事案ではないことを指摘して主張することになります。

自分の提示が正しいかどうか、どうすれば分かりますか。

支給の決定通知と、保険会社から届いた提示の内訳を並べて、引かれている項目と額を一つずつ突き合わせてください。金額の大きい項目から見ると効率がよいです。


弁護士に相談する前に、そろえておくもの

弁護士に相談する前に、そろえておくもの

相手方の保険会社から届いた賠償額の提示(内訳の付いたもの)と、労災や健康保険からの支給の決定通知を用意してください。この二つを並べれば、引かれない分まで引かれていないか、項目をまたいで引かれていないかを確かめられます。過失割合が付いている事案では、引く順番も見ることになります。

本稿は、労災や健康保険からの給付を受けた場合に、賠償額からどのように差し引かれるのかについて、一般的な考え方を整理したものです。裁判例の判断が分かれている点もあり、結論は事案によって異なります。個別の事案については、提示の内訳や支給の決定通知に基づく検討が必要です。

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