(ストーリー)
夕暮れの帰り道、会社員のAさんは仕事の電話に気を取られながら車を運転していました。信号が青に変わった交差点で発進した直後、Aさんの車は横断歩道を渡っていた歩行者と接触してしまいます。幸い歩行者の命に別条はありませんでしたが、足を骨折するケガを負わせてしまいました。Aさんはパニックに陥り、「自分は犯罪者になるのか?」と頭が真っ白です。
このように誰でも思いがけず交通事故の加害者になってしまう可能性があります。しかし、事故を起こした場合にはどのような法律上の責任が生じ、どんな対応をとれば良いのでしょうか。ここでは過失運転致傷罪(かしつうんてんちしょうざい)について、一般の方向けにQ&A形式でわかりやすく解説します。Aさんのケースを例に、法律上のポイントや誤解しやすい点も確認していきましょう。
Q1. 過失運転致傷罪とはどんな罪ですか?
A1. 自動車の運転中の不注意(過失)によって他人にケガをさせてしまった場合に成立する犯罪です。法律上は、「自動車の運転上必要な注意を怠り、よって人を死傷させた」**場合に適用されると定められています。つまり、運転手に安全運転の注意義務違反(前方不注意など)があり、その結果として他人に傷害を負わせてしまったときに罪が成立します。
法的根拠:過失運転致傷罪の規定は、もともと刑法第211条の2に置かれていましたが、2014年施行の「自動車運転死傷行為処罰法」に移管され同法第5条に定められています。法定刑(法律に定められた刑の範囲)は「7年以下の懲役・禁錮または100万円以下の罰金」です。なお、無免許運転の場合は刑が重くなり10年以下の懲役**となります(同法第6条)。
ポイント:「人を死亡させてしまった場合」は過失運転致死罪と呼ばれますが(同じ第5条で規定)、致傷罪と法定刑は同じです。また、この法律には「被害者の傷害が軽いときは情状により刑を免除できる」という規定があります。ただし「軽傷だから処罰されないだろう」と安心はできません。それは裁判官の判断次第であり、軽いケガでも状況によっては処罰される可能性がある点に注意が必要です。
Q2. どんな場合にこの罪に問われるのですか?
A2. 運転中のミスや不注意で事故を起こし人を傷つけてしまった場合に適用されます。具体的には、運転者が本来払うべき安全確認や注意を怠ったケースが典型です。例えば**脇見運転(前方不注意)でブレーキが遅れ歩行者に衝突してしまった場合や、居眠り運転でハンドル操作を誤った場合、信号の見落とし・無視による交差点事故、スピードの出しすぎでカーブを曲がりきれず他車に追突した場合などが挙げられます。スマートフォンの操作やカーナビの注視など「わき見」による事故も前方不注意として過失と判断されるでしょう。
要するに、運転中に通常求められる注意義務(前をしっかり見る、一時停止を守る、適切な速度を守る等)を怠った結果として事故が起き、他人にケガを負わせてしまえば、この過失運転致傷罪に問われる可能性があります。逆に、どう防衛運転しても避けられないような事故(飛び出しで避けようがなかった等)の場合は、「過失がなかった」として罪に問われないこともあります。しかし現実には、被害者がいる人身事故では運転手に全く過失がなかったと認められるケースはまれで、特に歩行者相手の事故ではまず本罪の容疑で捜査が始まると考えてよいでしょう。
Q3. 刑罰はどのようなもの?実際の量刑は重いのですか?
A3. 法定刑は7年以下の懲役・禁錮、または100万円以下の罰金です。これだけ見ると「最大7年の懲役」と重く感じますが、実際の裁判で科される刑はケースによって大きく異なります。量刑の決まり方は、主に以下の要素で左右されます:
- 被害結果の重大さ
被害者のケガの程度が重いほど通常刑も重くなります(死亡事故の場合は特に厳しい)。 - 過失の程度
事故態様が悪質(信号無視や著しいスピード超過など)ほど重く処罰されます。一方、被害者にも過失がある場合は刑が軽減されることがあります。 - 被害者対応
事故後の誠意ある対応(迅速な救護や謝罪、被害弁償や示談)があるか、被害者が加害者を許しているかなども量刑に大きく影響します。
★実際の量刑傾向
初犯の過失運転致傷事故であれば、ほとんどのケースで執行猶予付きの判決(有罪だが刑務所には行かず一定期間の猶予)が付くと言われています。特に被害者のケガが比較的軽く治療期間が短い場合は、不起訴(起訴猶予)となったり簡易裁判での略式手続による罰金刑で済むことが多いのが実情です。例えば打撲やむち打ち程度の軽傷事故であれば、適切に示談が成立したケースでは正式な刑事裁判にならずに処理される例が多数あります。実際、令和4年の統計では過失運転致死傷(致傷・致死含む)で検挙された約28万人のうち、84.2%が不起訴処分となっています。過失致傷のみのケースに限れば、これより高い割合で不起訴になっていると考えられます。つまり、大半の人身事故加害者は起訴(正式な刑事裁判)までは至っていないのです。
もっとも、「骨折など比較的重いケガ」の事故でも、被害者にも過失があったり被害者が処罰を望まない場合(加害者を許している場合)には罰金刑にとどまることもあります。反対に、以下のような悪質な事情がある場合は要注意です。
- 飲酒運転・ひき逃げなどが伴う場合
酒気帯び運転や無免許運転、救護義務違反(ひき逃げ)などの悪質な違反行為を伴う事故 - 被害結果が極めて重大な場合
死亡事故や死者が複数出たような事故。 - 過失が著しく大きい場合
赤信号無視やセンターラインオーバーなど重大な過失による事故
以上のように、過失運転致傷罪の刑罰はケースバイケースです。初犯・軽傷・誠意ある対応という条件が揃えば刑事処分自体が免除されたり罰金だけで済むことも多い一方、状況次第では懲役刑も現実にあり得る点を覚えておきましょう。
Q4. 初犯だと処分は軽くなりますか?不起訴や罰金で済むこともある?
A4. 初犯(前科がない場合)であれば、同じ事故内容でも再犯者に比べれば寛大な処分が期待できるのは事実です。特に過失運転致傷罪は過失による犯罪ですので、初めて事故を起こした人にいきなり実刑を科すケースはまれです。前述のとおり、初犯で被害が軽微な人身事故の場合、不起訴処分(起訴猶予)となる割合が非常に高く、起訴されても罰金刑にとどまるケースが多いです。
具体的には、事故後に被害者と示談が成立し被害弁償がなされれば、検察官が「起訴して刑罰を与えなくても反省が十分」と判断して不起訴とすることがよくあります。不起訴となれば刑事裁判自体が行われず前科もつきません。略式手続(書面審査のみで罰金刑を科す手続)による罰金処分も、初犯の比較的軽い事故では頻繁に用いられています。略式罰金の場合は前科(正式裁判での有罪)とはなりますが、裁判所に出頭する必要もなく罰金を納付すれば刑事手続きが終結します。
一方で、初犯だから絶対に起訴されない・実刑にならないと断言はできません。先ほど挙げたような悪質な事情(飲酒運転や重過失)がある場合や、被害者が重傷の場合などは、初犯でも起訴されたり厳しい判決が下る可能性はあります。また、たとえ初犯でも起訴されて有罪となれば前科がつく点は変わりません。日本の刑事裁判では起訴されると99.9%以上の確率で有罪になるとも言われます。したがって、「初めての事故だから大丈夫」と油断せず、不起訴を目指して適切な対応をとることが大切です。
Q5. 被害者と示談するとどうなりますか?示談の重要性は?
A5. 示談とは、事故の加害者と被害者の間でお金の賠償などについて和解の合意をすることです(民事上の解決)。過失運転致傷罪のケースでは、被害者との示談成立が極めて重要です。示談が成立すれば被害者が処罰を望まない意思を示したことにもなり、逮捕や起訴が避けられる可能性が高まります。実際、「示談が成立した交通事故案件は不起訴になることが多い」というのが実務上の感覚です。先述の統計でも不起訴が多い背景には、被害者への賠償・許し(宥恕)が得られている事例が多いことが推測されます。
示談が成立すると、被害者に対する民事上の責任(治療費や慰謝料などの賠償)は果たしたことになります。刑事手続き上も、検察官や裁判所に示談書を提出して被害者が処罰を望んでいないことを示せば、起訴猶予や執行猶予といった寛大な処分を引き出しやすくなります。示談が成立している場合、裁判になっても「被害者から許されている」ことは量刑上有利な情状として考慮され、罰金刑ですんだり執行猶予付き判決になる可能性が高まります。
逆に、示談が不成立だと被害者感情も厳しく、起訴や厳罰のリスクが上がります。特に被害者が処罰を強く望んでいるような場合、検察官も起訴に踏み切る傾向があります。示談交渉はできる限り早期に開始することが望ましいです。早めに謝罪と賠償の意思を示せば、被害者も冷静になり受け入れてくれる可能性が高まりますし、捜査段階で示談成立していれば警察や検察の心証も良くなります。
★ここがポイント
もし事故を起こしてしまったら、まず被害者救護と治療が最優先ですが、落ち着いたらできるだけ早く被害者に謝罪し、治療費や慰謝料などの賠償について話し合いましょう。任意保険に加入していれば保険会社の担当者が示談交渉を代行してくれますが、刑事事件としての示談交渉は弁護士に依頼するのがおすすめです。弁護士であれば被害者側の連絡先を警察から開示してもらえる可能性が高くなりますし、適切な示談書も作成してもらえます。示談書は後々のトラブル防止に必須ですし、捜査機関に提出することで逮捕や起訴をさらに避けやすくする効果もあります。
Q6. 加害者になってしまったらどうすればいい?現場での対応やその後の流れは?
A6. 事故直後からの行動がその後の刑事・民事処分に大きく影響します。万一交通事故を起こしてしまい人をケガさせた場合、次のような行動を取ることが肝心です。
- ただちに車を安全な場所に停車する
パニックになって逃げたりせず、すぐに車を止めましょう。逃げると「ひき逃げ」(救護義務違反)となり、刑事処分が格段に重くなってしまいます。 - 負傷者の救護と119番通報
負傷者がいる場合、可能な限りの救助措置を取ります。止血・救命などできる範囲で手当てし、すぐに119番(救急車)を呼んでください。人命優先です。 - 警察への事故報告(110番通報)
道路交通法72条により、事故を起こした運転者は警察へ報告する義務があります。必ず110番で警察を呼びましょう。警察を呼ばずにその場で示談しようとすると後で発覚した際にトラブルになります。警察には正直に状況を説明し、取り調べに協力しましょう(ただし事実と異なることは言わないよう注意)。 - 現場の証拠保全
可能であれば事故現場の写真を撮る、ドライブレコーダーの映像を保存する、目撃者の連絡先を控えるなど、事故状況の証拠を集めます。後で過失の有無や程度を判断する材料になります。 - 保険会社や家族への連絡
加入している自動車保険会社に事故発生を連絡します。保険会社が被害者対応や示談交渉についてサポートしてくれます。また家族にも早めに連絡し、今後の対応について協力を仰ぎましょう。 - 被害者への謝罪とお見舞い
被害者が搬送されたら、可能であれば病院に駆けつけ直接謝罪します。被害者の容体を確認し、真摯な反省とお詫びの気持ちを伝えましょう。決して自己弁解せず、相手の気持ちに寄り添うことが大切です。 - 専門家(弁護士)への相談
事故後できるだけ早く刑事事件に詳しい弁護士に相談することをおすすめします。今後警察でどのような取り調べがあるか、示談交渉をどう進めるか、起訴の可能性はどれくらいか、といった見通しを専門家からアドバイスしてもらえます。とくに重大事故や自分に過失があったか微妙なケースでは、早期に弁護士をつけることで有利な証拠の収集や適切な対応が期待できます。警察から逮捕された場合でも、弁護士を通じて早期釈放や不起訴に向けた働きかけが可能です。
以上が基本的な流れです。Aさんのケースで言えば、事故直後に負傷者の救護と通報を適切に行い、その後速やかに被害者へ謝罪と補償の申し入れをすることになります。幸い任意保険にも入っていれば、保険会社と弁護士の助力を得て示談を成立させ、不起訴処分を目指すのが理想的な流れです。逆にその場で逃げてしまったり、警察を呼ばずに放置すれば、発覚したときに過失運転致傷罪に加えひき逃げの罪で厳罰に処せられてしまいます。適切な対応を取ることが、後の自分の刑事上・行政上の処分を軽くすることにも直結するのです。
Q7. 過失運転致傷罪に関するよくある誤解は?
A7. 一般の方が誤解しやすいポイントをまとめます。
- 「自動車保険があるから大丈夫」
誤解: 任意保険に入っていれば、事故の賠償は保険金でまかなわれるので自分は責任を問われないと思っている。
解説: 保険がカバーするのは民事上の損害賠償責任です。過失運転致傷罪は刑事上の責任なので、たとえ保険金で被害者への支払いが済んでも刑事処分がなくなるわけではありません。実際、保険加入の有無に関係なく事故を起こせば警察は捜査しますし、悪質なケースでは起訴され懲役刑となることもあります。ただし、任意保険で十分な賠償がなされ被害者から許しを得られれば不起訴となる可能性は高くなります(刑事処分上も有利な情状となる)。要は「保険に入っている=刑事免責」ではなく、保険でカバーできるのはお金の面だけと理解しましょう。保険があるからといって安全運転義務を怠ってよい理由には決してなりません。 - 「被害者が軽傷なら大きな問題にはならない」
誤解: かすり傷や打撲程度の軽いケガなら犯罪扱いにならない、逮捕もされないだろうと思っている。
現場で警察を呼ばず示談で済ませようとして後から発覚した場合、報告義務違反やひき逃げとして扱われる危険もあります。また軽傷でも被害者がいる以上、警察は所定の捜査を行い書類送検します。もっとも、前述の通り軽傷事故では不起訴や罰金で処理されるケースが多く、逮捕される例もまれです。特に明らかな軽傷(治療不要レベル)で被害者も処罰を望まない場合には、刑事上お咎めなし(不起訴)となることも十分あり得ます。しかしそれはあくまで結果論であり、「軽いケガだから放置して良い」という意味ではありません。事故を起こした以上は真摯に対応する義務がありますし、その対応如何で最終的な処分も変わってくるのです。 - 「過失だから犯罪者ではない(前科にならない)」
誤解: わざとではない事故なのだから犯罪者扱いはおかしい、処罰されるのは納得できない、と考える。
解説: 気持ちは理解できますが、法律上「過失(不注意)によるケガでも犯罪」です。過失運転致傷罪が成立すれば刑法犯罪として前科が付き得ます。不起訴になれば前科はつきませんが、起訴され有罪となれば過失犯でも前科は前科です。「故意でないから無罪」という理屈は通らないので注意しましょう。ただし裁判所も故意犯に比べれば情状を考慮してくれるため、初犯であれば多くは執行猶予付き判決になるなどの配慮はされています。いずれにせよ、過失による事故でも刑事責任が生じうることをドライバーは認識しておく必要があります。
おわりに:Aさんのケースから学ぶこと
冒頭のAさんのケースでは、Aさんの前方不注意(電話に気を取られた脇見運転)という過失によって歩行者にケガを負わせてしまいました。この場合、Aさんには過失運転致傷罪が成立します。幸い被害者は軽傷でしたので、Aさんがすぐに適切な対応を取り、誠意ある謝罪と賠償(示談)を行えば、逮捕・起訴を免れ穏便に解決できる可能性が高いでしょう。実際に保険会社を通じて治療費等を賠償し示談が成立すれば、警察での取調べはあっても最終的に不起訴となり、Aさんに刑事罰が科されないで済む可能性が十分あります。
しかし、もしAさんが「保険があるから大丈夫だろう」と安易に考えて被害者への謝罪や報告を怠ったり、その場から立ち去ったりしていれば状況は一変します。ひき逃げと判断されれば重大事件となり、たとえ後で出頭しても厳しい処罰は免れません。また被害者との関係修復も難しくなり、起訴されて前科が付く結果にもなりかねません。
このように、過失運転致傷罪は誰もが加害者になりうる身近な犯罪です。ドライバーは日ごろから「事故そして万一事故を起こしてしまった場合は、本コラムで解説したように迅速かつ誠実な対応を取ることで、被害者の救済とご自身の責任軽減の双方に繋がります。自動車社会の一員として正しい知識と備えを持ち、運転に臨みましょう。
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